祈り【オクゴエが神社に行く理由とは?】

祈り【オクゴエが神社に行く理由とは?】

 

※動画中、音声が乱れる箇所があります。

 

成功している人はなぜ神社にいくのか?

 

昔から日本の多くの成功者は
神社を「特別な場所」と知り、
参拝してきた背景がありました。

 

この事実は歴史が物語っているのですが、
天下を取った人たちは必ずと言っていいほど、
特定の神社を参拝していました。

 

神社が特別な場所のワケ

 

祈りとは、意宣りと昔の人は表現したそうです。
つまり、神に向かって宣言をする神聖な場所でした。

 

今でこそ、「パワースポット」なんて呼ばれて気軽に参拝ができるようになりましたが、
その昔、参拝をするという行為は「神と対話をする場所で行う儀」であったため、
気軽に参拝なんてできるようなことではなかったようです。

 

気軽に参拝出来なかったとはどうゆうことなのか??

 

神と対話するまで多くの試練があった

 

神との対話を果たすためには
「禊」といって、
滝に打たれたり、海や河で体を清めたりして、
禊を祓い、鳥居という異世界へのゲートをくぐり、
祈りを捧げに向かうという神聖な儀式が必要でした。

 

このように神との対話を果たすには、
相当な試練を乗り越えなければ
神と対話することができない
または、ここまで追い込んだのだから、
神の声を聞かなければ戻ることなどできない
といった
相当な想いが込められていた行為でした。

 

神との対話とは?

 

参拝をするとは、僕らが神に「意宣る」と同時に
神も僕らに対して
「頼みたいことがあるもの」だと考えられていたため、
神との対話と呼ばれていました。

 

神にはどのような頼みたいことがあるのか?

 

神は肉体を持たないので、
僕らを通じて現実世界に貢献します。

 

と、言っても、
神からのお告げが聞けるわけではありません。

 

祈りを捧げている中で、
様々な気持ちが沸き上がってきては消えて、を繰り返し、
自分との対話の中っで整理整頓されて、導かれていくのです。

 

これはとても重要なことなので、心のどこかにとどめていおいてください。

 

神の正体とは??

 

神の正体は「人々の祈りの集合体」であると言えます。

 

織田信長は「神社で祈られた数も見えない敵」として、
敵対する相手との戦では
敵対する相手の大切にしている寺や神社を焼き払い
敵対する相手の神にまで「ヤキモチ」を妬いて滅ぼそうとしました。

 

対する徳川家康は
泰平の世を作るには
祈りを捧げるため民と神が必要だと考えました。

 

結果は家康の考え方が太平の世を作り、
何百年ものあいだ、家康の願ったは平和な世が訪れました。

 

祈りの効果

 

祈りの与える絶大な効果とは?

 

いつの頃からか「祈り」は
僕らの身勝手な「願い事」になってしまって、
「神との対話」には程遠いものになってしまっています。

 

僕らは禊をして祓い清めるまで行かないにしても、
参拝して、参拝したことに感謝をして、
神の願いを受け入れられるよう
自分の「意宣り」を唱えたあとは

 

迷いや雑念を振り払って無心で祝詞を捧げ、
神との対話を通じて導かれてみることも経験してみましょう。

 

 

関連動画
※動画中、音声が乱れる箇所があります。

" target="_blank">自己暗示【オクゴエのアファメーションとはなにか??】

 

 

それでは最後までお付き合いいただきありがとうございました。

 


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